2004年はボストン・レッドソックスが86年ぶりにワールドシリーズを制覇しました。そこに到るまでにはこの1年だけでも色んなドラマがありましたが、今回はその渦中にいた名選手です。
ノマー・ガルシアパーラ(BOS→CHC)
81G .308/.365/.477 9HR 41RBI 4SB OPS.842
A-ROD選手、デレク・ジーター選手と並び、90年代後半の大型遊撃手3人衆の1人として名を馳せたボストンのスーパースター。この3人はいずれも走攻守に優れ、ルックスが良く、人気者という共通点がありました。それまでは遊撃手は守備に重きを置いた選手が主流だった中、高い攻撃力を持ち合わせた3人は新しい遊撃手像として一時代を築きました。
さて、その3人の中ではキャリアの印象や実績が最も劣ると言わざるを得ないガルシアパーラ選手。でも、私はガルシアパーラ選手が一番好きでした。と言うより、当時一番好きだった選手が彼でした。
まず何よりその容姿。ジーター選手やA-ROD選手もカッコいいかもしれませんが、ガルシアパーラ選手には敵いません。私の中では歴代メジャーリーガーの中でトップです。
打撃スタイルは、現代風に言えばフリースインガー。特に初球打ちを好みます。打率が高く、年間30本前後のホームランを打てる長打力もありました。
有名なのは打席でのルーティン。一球ごとにバッティンググローブを止め直したり爪先をトントンしたり、なんとも忙しい仕草を見せてくれます。特にバッティンググローブを素早く止め直している様子はなんだか曲芸じみてて面白いです。
96年にメジャーデビューを果たしたガルシアパーラ選手。翌年には早速SSのレギュラーとして最多安打のタイトルを獲得するなど持ち前の攻撃力で大暴れ。満票でのROY、さらにリーグMVP投票2位という結果で早くもボストンのスターに。翌98年はタイトルこそ無かったものの.323/.362/.584・35HR・122RBIとほとんどの部門で前年の成績を上回り、99年、00年には2年連続首位打者を獲得。文句の付けようのないMLBを代表するスーパースターとなりました。03年も少し数字は落ちてきたものの、相変わらずの攻撃力でチームを牽引していました。
・・・が、レッドソックスの歴史のハイライトとなった04年に、チームとは対照的に彼のキャリアは暗転します。シーズン前にアキレス腱の怪我でチームを離脱。さらにマニー・ラミレス選手とA-ROD選手のトレード話のゴタゴタが持ち上がった影響でガルシアパーラ選手の放出計画が露見します。この時のレッドソックスは本当にごちゃごちゃしていました。それがシーズン終わってみれば悲願のWS制覇を成し遂げているんですから不思議なものです。
ガルシアパーラ選手は2ヶ月ほど遅れて戦線に復帰し、打撃面ではまずまずの活躍を見せるものの怪我の影響からか守りに精彩を欠きます。
そして運命のトレード期限直前、テオ・エプスタインGM(当時なんとまだ30歳!)はボストンのスーパースター、チームの顔であるガルシアパーラ選手をカブスへ放出し、オーランド・カブレラ選手とダグ・ミントケイビッツ選手、そしてデーブ・ロバーツ選手(現ドジャース監督)を獲得。これによりレッドソックスは守備力を強化します。
その後のレッドソックスについてはここで詳しく触れるまでもないでしょう。この時に獲得したロバーツ選手のあの有名な盗塁からヤンキースを奇跡の大逆転、そのままの勢いでワールドシリーズも圧勝、見事バンビーノの呪いを打ち破り、86年ぶりにワールドシリーズを制覇します。
かたやガルシアパーラ選手。カブスへの移籍後は攻撃・守備ともにパフォーマンスを落としていきます。SSを守る機会も急激に減っていき、06年からは1Bとしてドジャースと契約(斎藤隆投手ともチームメイトでした)。そのシーズンでは20HR、OPS.872を記録するなど打棒が復活し見事カムバック賞を獲得しますが、翌年からは34歳を迎えるシーズンとあって衰えも隠せず、09年にアスレチックスと契約するもその年で引退。最後は因縁であり憧れであるレッドソックスと1日契約して引退の花道を飾りました。
レッドソックスを去った後の成績は下降を続けましたが、メジャー通算14年のキャリアで1434試合に出場、1747安打、229HR、そして通算打率.313、通算OPS.882という素晴らしい成績を残しています。
というわけで、このカレンダーの年はガルシアパーラ選手にとってキャリアの大きな転換点となりました。
長くチームの顔として活躍し、ファンからの支持も厚く絶大な人気を誇っていた彼にとって、チームの悲願が成就した瞬間はどのような思いだったのでしょうか。
長くなったので今回は1人だけ。まだ、続きます。
次回も少し寂しい話になりそうです・・・。