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Slugger 2004年カレンダー 〜 その4

ふと見つけた古いカレンダーをネタにしたこのシリーズを記事にし始めてから、アクセスが急激に増えています。とてもありがたく感じています。

 


拙い内容ではありますが、記事を面白い!と感じていただけたら下記リンクをクリックしてもらえると

 


大変励みになります。

 

 

 

 


マーク・プライアー(CHC)

21G 6-4 ERA4.02 IP118.2 SO139 WHIP1.35

 


当時、アメリカの人気ドラマのタイトルとかけて『シカゴ・ホープ』(日本でも放送されていましたね。主題歌はLUNA SEAでした)と呼ばれたマーク・プライアー投手は、この前年の03シーズンに大ブレイク。18勝を挙げ、IP211.1、SO245、ERA2.43という成績でサイ・ヤング賞投票で3位を獲得。チームの先輩であり、03シーズン奪三振王のケリー・ウッド投手とともにビリー・ゴートの呪いを破るための希望の星としてカブスファンから期待されていました。

 


プライアー投手は01年、ドラフト1巡目全体2位でカブスから指名を受け入団。翌02年に早速メジャーデビューを果たすと、その高い奪三振力を武器に前述の通り03年に大ブレイク。

スリークォーターの位置から小さなテイクバックで繰り出す爆発的なファストボールと急激に曲がるスライダーを武器に三振の山を築きます。またコントロールにも優れており、速球と変化球いずれも捕手の要求どおりのポイントに投げることが出来る、高い次元でバランスのとれた投手でした。

 


しかし、偶然にもある有名な事件を境にプライアー投手のキャリアは一変します。

03年のカブスは強力な先発陣を擁して地区優勝を果たし、NLDSを勝ち進みます。NLCSもフロリダ・マーリンズを相手に3勝2敗と王手をかけ、本拠地リグレー・フィールドでの第6戦に臨みます。このときの先発投手こそ、プライアー投手なのです。この日も快投を続けてチームも3-0とリード、8回表1死2塁、あとアウトを5つ取ればついにビリー・ゴートの呪いを破る(この呪いは『リグレー・フィールドでワールドシリーズを戦うことが出来ればクリア』なのです)というところまで来ました。

そしてこのとき起こったのが、かの有名な『バートマン事件』なのでした。この1ファンの青年によるファウルフライの妨害の結果、プライアー投手は同点打を浴び降板。後続投手も打ち込まれ、この回8失点で逆転負け。次の第7戦にも敗れたカブスは、呪い撃破の目前で散ることになりました。

(このバートマン事件は、少し調べるとその後にとんでもないことになっていて驚きます。16年にようやく呪いを打ち破ることが出来て、本当に良かったですね。)

 


呪いを打ち破ることは出来なかったものの、大ブレイクし更なる期待がかかった04年。しかし、アキレス腱痛とその後のキャリアを決定づける肘と肩の故障によりシーズン開幕をDLで迎えることになります。結果、イニング数は前年の約半分にとどまり、ERAも悪化。実はブレイクを果たした03年は相当にいわゆる酷使をされており、それが悪影響を及ぼしたとよく言われています。

翌05年は復活するも、ピッチャーライナーの直撃という不運で腕を骨折。そして06年、肘の故障が再発し、わずか9試合の出場に終わると、なんとそれ以降はメジャーの舞台でプライアー投手を見ることは出来なくなってしまうのでした。

 


03年の大ブレイク。誰もがそのポテンシャルに驚き、順調なキャリアを重ねて200勝や3000奪三振を達成することを信じて、ビリー・ゴートの呪いを打ち破る大エースとなることを夢見ていたと思います。そこからわずか3年、まだ26歳の若さでした。

 


しかしそれから7年以上、彼は肩の手術を繰り返しながらマイナーや独立リーグで投げ続け、メジャーのマウンドに再び立つことを信じて奮闘します。しかし残念ながら夢叶わず、ついに13年末に現役を引退します。この報せを知ったとき、心から寂しい気持ちになった野球ファンは多かったと思います。

 


このカレンダーが出回った頃は、前回のガルシアパーラ選手と同じく、キャリアの大きな転換点を知らないうちに目前に迎えていたことになります。

 


今年からドジャースのブルペンコーチを務めていると知ったときは、野球に携わった仕事を続けているのだと嬉しい気持ちになりました。

これからのキャリアでは、是非ともピッチングコーチとして、マーク・プライアー二世を育成してみせて欲しいと思いますね。