baseballlll’s blog~カープとMLB。

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黒田博樹投手の100勝達成(2007年7月14日)

またまた出てきました、ちょっと昔のもの・・・。

 

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今回は2007年7月15日(日曜日)のデイリースポーツ広島版、黒田博樹投手がキャリア通算100勝を達成した翌日のものです。

黒田投手は当時32歳、キャリア11年目を迎えていました。1997年にドラフト2位でカープに入団し、その年の4月25日、東京ドームでの対巨人4回戦でプロ初勝利を挙げます。なおこの試合は1軍でのプロ初登板だったのですが、同時に初先発・初勝利であり、さらに初完投という記録を成し遂げています。プロ初年度は同期でドラフト1位の澤崎投手が活躍し、新人王まで獲得したのに対して黒田投手はローテーションを守るもののまだまだ粗削りで、なかなか勝ち星が伸びなかったのを覚えています。

しかしそこから苦節11年、ついに節目の100勝に到達します。初勝利と同じ、東京ドームでの巨人戦。そしてこのときも見事な完投勝利!
この日のオーダー表です。

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この試合で特に印象に残っているのは8回オモテ。観戦していた方は絶対に忘れていないと思いますが、ここまでの黒田投手のキャリアの中で永く女房役を務めてきたキャッチャーの倉選手がダメ押し3ランを打つんですよね。このときベンチに帰ってきて黒田投手の隣に座り、ほっとしたような表情を見せる倉選手をよく覚えています。

最終回はちょっと疲れたのか勝利目前で小笠原選手に豪快な一発を浴びてしまいますが、点差もあり難なくゲームセット。
このシーズン9勝目、対巨人戦通算20勝目、カープで10人目の100勝到達。100勝のうち巨人相手に20勝というのは、当時から考えると相当に凄いですね。黒田投手はこのとき、『カープのユニフォームを着て100勝できたことがうれしい』というコメントを残しています。この前年、FA権を取得した黒田投手は一時他球団への移籍が決定的であるような報道などもありましたが、結果カープに残留。そういった事を経ての100勝達成だっただけに、特別な思いがあったことでしょう。

なお苦節11年としながら(しかも大卒)、黒田投手のキャリアはこの年でひとつの区切りを迎え、翌年にMLBに挑戦します。ドジャースとヤンキースで7シーズンを過ごし、その後カープに復帰、キャリア通算200勝を挙げるなど、さらに2シーズンを戦い引退。つまり結果的に、この100勝の時点では黒田投手自身のプロ野球選手としてのキャリアは半分を少し過ぎた程度だったんですね。『男気』というのが定番ワードですが、故障リスクも大きくなっていく30代以降も大きな欠場もなく引退まで過ごしたのは『鉄人』と呼ぶことこそ相応しいとも思えます。

ちなみにこの新聞の左上にあるように、この2007年はカープファンにとって最も大きなイベントであった前田智徳選手の2000本安打達成もありました。それはこの黒田投手100勝の日からおよそ1月半後、9月1日の広島市民球場での対中日戦、のちにカープにも所属し活躍することになる久本投手から節目の安打を放ちました。で、もちろんそのときのデイリー広島版もありました。(笑)
この日の時点で前田選手は2000本安打達成まであと31本となっているのが分かります。そしてその左側、『ブラウンカープ2007 行くぞVロード』とありますね。それではこの時点の順位表を見てみましょう。

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『この頃だからどうせ横浜が最下位で広島は5位だろ』とか思った人!失礼ですよ!!(私もでした、ごめんなさい。)
この年の横浜(まだDeNAになるのは当分先のことです)は前半戦で首位に立つなど7月終わりまでAクラスをキープするんです。最終的には失速して借金1の4位に終わりますが、なんとか勝率4割に乗っての最下位だった前年からの躍進の年だったのです。しかし翌年は90敗を記録してまたも最下位に逆戻りしてしまいますが・・・。
かたやカープはVロードなど遥か遠くの蜃気楼のごとく最下位を爆走中でありました。最終順位は転落してきたヤクルトを1ゲーム差でかわして見事定位置の5位に収まり、ファンを安心させました。この年のオフにはご存知のとおり新井選手が阪神へ、黒田投手がドジャースへという大ダメージを受けて翌シーズンに臨むわけですが、新旧戦力の台頭もあり借金1の4位へと2007年の横浜のごとく躍進します。しかし結局は初のCS出場までは2013年(シーズン勝ち越しは翌2014年)まで待たねばならず、この頃は1996年のメイクドラマによるトラウマを植え付けられた翌年くらいから永く永く続く暗黒時代の、まさに真っただ中なのでした。

 

ちなみにパ・リーグの順位表はこちら。

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この年はセ・リーグ覇者が巨人、パ・リーグ覇者が北海道日本ハムでした。
CSでは中日が巨人を破り日本シリーズ進出。日本ハムと対戦し、有名な完全試合継投で第5戦を制して日本一に輝きました。

 

ついでなので、この日は他に何があったか見てみます。
裏1面はこちら。

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そしてMLBでは、イチロー選手がマリナーズと5年総額1億ドルでの契約延長が報じられています。

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イチロー選手と握手しているのは、バベジGMです。


この時点でのMLB順位表がこちら。

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そして、日本人選手の成績です。

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2007年はア東を制したレッドソックスと、ナのWCから勝ち上がったロッキーズがWSで対戦。レッドソックスのスイープによりバンビーノの呪いを破った2004年以来の世界一に輝きます。このWSには松坂大輔投手、岡島秀樹投手、松井稼頭央選手が出場しています。


このシーズンでは松坂投手や岡島投手も当然素晴らしい活躍でしたが、個人的に特に印象に残ったのは松井稼頭央選手でした。この年デビューしたトゥロウィツキー選手(先日ヤンキースとの契約が決まりましたね)と二遊間&1、2番コンビを組み大活躍。特にロッキーズが驚異的な快進撃を見せたシーズン後半での活躍が光りました。

WCでPSに出場してDS、LCSと全勝でWSまで駆け上がったロッキーズですが、その前にシーズン163試合目のタイブレーカー(ワンデーPO)をパドレスと戦っています。


Padres vs. Rockies, Wild Card Playoff, 2007

クアーズで行われたこの試合は、一進一退のもつれ合いとなります。しかし延長13回オモテにパドレスに勝ち越し2ランが飛び出し、裏には守護神ホフマン投手がマウンドに上がります。これで万事休す・・・かと思いきや、先頭の松井選手がいきなり二塁打。続くトゥロ選手も二塁打、ホリデー選手の三塁打であっという間に同点。そのホリデー選手が最後はライトへの犠飛で激走生還し大逆転でのPO進出を決めました。この動画では肝心の13回裏がほとんど省略されているのが残念です。他にも探してみましたが、youtube上には見つかりませんでした。
この年のロッキーズは、64という数字のジンクスなどのエピソードもあり、のちにアンビリバボー(だったと思います)でもドラマになっています。

 

他にも芸能面には浜崎あゆみと長瀬智也の破局報道なんかも載っていましたが、ちょっと長くなりすぎたのでこの辺で。
最後に、小倉優子さんがこんな広告に出ていた時代です。

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2007年、もう12年も前という事実が一番の驚きかもしれません・・・。

 

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