平成の終わりに、イチロー選手の引退。時代というものがひとつの区切りを迎えているんだなあ、としみじみと感じます。
(ピッチャー・イチロー。topps 2016 無印版のインサートカードです。レアなカードって訳でも無いんですが、気に入ってて大事に持っています。)
94年、登録名を『イチロー』に改めた当時の鈴木一朗選手。小学生だった私は、共に登録名をカタカナにしたパンチ佐藤さんと2人で写真に収まった新聞記事を見ながら『佐藤の登録名がパンチになってる!選手名鑑にあだ名はパンチって書いてあったしなあー、でも登録名までパンチにしちゃったんだ!面白い人だ・・・ん?イチロー??誰だろう?』と思ったのをハッキリと思い出します。
そしたらその年に首位打者、シーズン200本で大ブレイク。パワプロでオールAだったのも思い出します。そこから毎年、首位打者はイチロー選手の指定席でしたね。オリックスブルーウェーブもリーグ優勝や日本一を達成。思い出しますね、『がんばろうKOBE』。
その後2000年オフにシアトル・マリナーズにポスティング移籍。MLBでも説明不要の素晴らしい活躍を続けてくれました。野手としても日本人プレーヤーがメジャーリーグで活躍出来るんだということを示してくれたことはもちろん、将来の一発殿堂入りも間違いなしの偉大な業績を残し、文字通り球史に名を残したと言える存在です。
ブレイクした頃のイチロー選手の代名詞であった振り子打法は、当時誰でも一度はマネしたはず。その後はオープンスタンスの振り子打法、メジャーでは振り子打法を卒業し、トッププレーヤーでありながら常に進化を続ける姿はプロアスリートの見本と呼べるものでした。また毎日のルーティンや道具へのこだわりなどからも、とても高いプロ意識を感じる選手であったことは衆目一致するところだと思います。
メジャーデビュー間もない試合でのレーザービームや、MLB新人最多安打(当時は更新が現実味を帯びてくると、あまりに古い記録を掘り返しているのでニュースでも情報が錯綜していた事がありました)、シーズン最多安打記録、09WBC決勝での勝ち越しタイムリーなど、キャリアのハイライトを挙げればキリがないですね。
そんなイチロー選手もいまや45歳。正直、メジャーリーガーとして戦っていくことは年々厳しくなっていたことは事実と言わざるを得ないでしょう。それでも、いつまでも野球選手としてファンの前でプレーしているような気がしていました。
引退を知った瞬間は、ああやっぱりな、という気持ちのすぐ後に、嫌だ!というとても寂しい思いになりました・・・。
ブルーウェーブでビックリするようなプレーをたくさん見せてくれるイチローも、
マリナーズでただひたすらにストイックにヒットを積み上げるイチローも、
ヤンキースで苦しみながら奮闘するイチローも、
マーリンズでどこか良い意味で力の抜けた、若いチームメイト達と楽しんで野球をしているイチローも、
そしてホームであるシアトルに帰ってきて嬉しそうなイチローも、
それにWBCで極限まで自分を追い込み世界に挑むイチローも、
打つイチローも走るイチローも守るイチローも投げるイチローも、
全部全部最高です!!
だからとても寂しいですが、私がチビっ子野球少年の頃からおじさんと呼べる歳になるまで、ずっと長い間最高のプレーを見せ続けてくれて、本当にありがとうございました。
そして大変お疲れ様でした。
・・・そういえば、あれ、またしたくないですか?
ブルーウェーブ時代の、『イッチロー!!!』のコール。私はテレビの前でしかやったことないですけど。(笑)
本当に本当に、心からありがとう!
そしてまた元気な姿を見せて下さい!
イチロー!!!