『ノムさん』の愛称で野球界だけでなく、世間に親しまれた野村克也氏が亡くなったことを、各メディアが報じています。
プロ野球選手としては数々の打撃タイトルを獲得、さらに戦後初の三冠王を達成した史上屈指の強打者として、また様々な戦術を駆使する名捕手として長く活躍しました。
そして現役を引退後は指導者としても大きな功績を残し、特に90年代ではヤクルトの監督としてデータを駆使した『ID野球』を標榜。セ・リーグ優勝4回、日本一3回という黄金時代を築きました。
私が子供ながら野球に興味を持ち始めたのもこの頃で、初めての日本シリーズ観戦(もちろんテレビでですが)は93年。
当時の最強チームである森西武との再戦で、雪辱を果たしてノムさんが監督として初めての日本一になった、あのシリーズでした。
高津投手が鈴木健選手を空振り三振に仕留めて悲願を決めたシーンは今でも脳裏に浮かびます。
その後は阪神や楽天でも指揮を執り、社会人野球シダックスの監督も務めるなどプロ・アマ問わず長年に渡り日本の野球界に貢献。
監督としては『野村再生工場』という言葉も流行りましたね。
ありがとうノムさん。
数々の『ボヤキ』や愛妻沙知代さんとの仲睦まじい様子でも親しまれ、その影響力は野球界だけにとどまらなかったように思います。
代名詞とも言える『ボヤキ』は、ただの愚痴や感想に終わることもあれば、ノムさんの野球観や勝利への哲学を垣間見ることもでき、いつも楽しみにしていました。
ここから野球というスポーツの奥深さを学んだファンも多かったのではないでしょうか。
一方で、ただ野球一本だけの人ではない面もよく知られているところです。
例えば著書『野村ノート』では、仕事に対する哲学や組織に対する考え、そして人生、人間というものへの思いが書かれています。
野球は仕事であり、仕事と人生は強い結びつきがあり、いい仕事をするためには人生論の確立が為されていなければならない。
仕事を通じて人格形成、人間が作られていく。
監督、組織の指導者として結果を出すために、まずは『人づくり』に励むのだ、と説いています。
プロ野球選手だけでなく、社会に生きる人間としてノムさんの言葉が多くの人々の共感を得たであろうことは、この本がベストセラーとなったことからも窺い知ることができます。
私がプロ野球に熱中し始めた頃には既に監督としてヤクルトを指揮しており、その人気ぶりと試合後のボヤキもあってとにかくメディア露出の多かったノムさん。
シーズン中はテレビで目にしない日はまず無く、長年それが続くと自然とおじいちゃんのような親近感を覚えていました。
それだけに、この訃報のショックも大きいものがあります。
2年前にサッチーが先に旅立ってしまい、相当にお力を落とされたようで、その後のメディア露出では明らかに元気がなくなっている様子でした。
先日の金田正一さんとのお別れ式では車椅子で参列する姿が見られ、心配していましたが・・・。
享年84歳。
人生のほとんどを野球界の現場で過ごし、現代野球の技術や戦術の向上、ファン拡大など、キャリアを通じて野球界の発展にこれ以上ないほど貢献した方と言えるでしょう。
そしてノムさんの愛弟子たちが今また、野球界を盛り上げてくれています。
天国では最愛のサッチーが迎えてくれていることでしょうから、これからはもう、寂しくないですね。
ありがとうございました、ノムさん。
どうか安らかに。